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吃音と生きる 5 就職活動という大きな壁 『新潮45』2016年7月号

メガネの奥の眼差しを優しく崩して話す吉永を見ながら、私は思った。きっと彼は生徒たちにとってかけがえのない存在なのではないかと。自身の苦悩を正面から見せる吉永にだからこそ本音を言える。そんな生徒が必ずいるような気がするのだ。/八木が中高時代に必要としていたのも、吉永のような教員だったのかもしれない。/「先生は話す仕事だから、吃音があると難しいのではと思っていました。でも先生だからこそ、障害などを抱えた人がなることに意味があるのだとも感じます」/八木は吉永にそう言った。八木もまた、教員になるとすれば、彼だからこそ果たせる役割があるに違いない。「吃音があってもできる」のではなく、「吃音があるからこそできる」ことがきっとある。私はこのとき、そう確信した。
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