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私の京都新聞評 『京都新聞』(2011年6月~11月、各月第2日曜日、全6回)

以下、最終回(11月13日掲載分)全文

この欄の連載も今回で最後となった。半年間、京都新聞をいつも以上に精読する中で、社説のバランス感覚や各連載の中にある温かみを感じてきた。今回は最後に、今後への願いを込めて、こうしてほしいと思うところを書きたい。

先月の「新聞週間」のころ、新聞のあり方を考える記事が多かったが、その中で気になったのは、インターネットの捉え方だ。10月18日付朝刊の「新聞週間に思う」のコラムの中で「ネットやケータイなどがもてはやされるにつれ、紙の新聞に暗雲が垂れ込み始めた」とあり、新聞と対立する存在とされていた。加えて10月24日付朝刊の社説「荒れるネットの裏側には」でもネットが暗に否定的に扱われているように読めたが、そこにある種の危うさを感じた。ネットに多くの問題があるのは言うまでもないが、それはいまや明らかに世界を動かす最大の装置であり社会の基本的なインフラだ。その絶大な存在感と役割を新聞関係者はもっと率直に受け止めるべきなのではないか。ネットへの深い理解があって初めて、紙の新聞にしかできないことが見えてくるように思う。

また、新聞が読まれるために何が必要なのか。自分は、信念と覚悟を感じる記事だと思う。いまの日本は、あらゆる場面で仔細なルールが決められすぎのように感じる。そのため私たちはただルールに沿って生きることに慣れ、自ら判断して行動する機会が減ってきてはいないか。それは責任感や信念の欠如につながっているように思う。その中にあって新聞は、率先して信念や覚悟を伴った主張をする存在であるべきだと私は思う。しかし果たしてそうあり得ているか。

たとえば10月19日付朝刊、平野復興相の「逃げなかったばか」発言についての記事。この発言をメディアは批判的に報道したが、前後の文脈を見れば平野氏の真意は分かるはずだ。しかしただ「ばか」と言ったからと一律に批判される状況を見て、メディア自身が信念を持って考えているのか疑問に思った。記事の中の「遺族からは反発も出そうだ」という言い方にもその一端が表れていると思う。これは新聞でよく見る表現だが、批判する主体を他にゆだねるところに、自らは責任を負わないで済まそうとする意志を感じてしまう。この点こそ、新聞に一番変わってほしいと思うところだ。

夕刊のコラム「灯」が好きだ。記者個人の思いが垣間見えるからだ。10月26日付「襲名披露」では、「京都丹波」という新たな呼称を巡って記者の地域への愛を感じた。11月7日付「怒りの臨界」では、洪水に襲われているタイと丹波をだぶらせて、丹波の背負ってきたであろう怒りを記者が代弁した。記者一人ひとりが持つそういった信念や怒りこそが新聞の命である気がするし、それがしっかりと紙面を埋めてほしいと願う。京都新聞の静かに輝く良識がより熱く感じられる紙面作りに期待したい。

偉そうなことを書き並べ誠に恐縮だが、この欄で書く意義、そして同じ書き手としての自戒も込めて、あえて率直に書かせていただいた。半年間、どうもありがとうございました。
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