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ウェビナー<エビデンスは棍棒ではない3: 「エビデンスと社会とわたし」とその”隙間”を考える>

本ウェビナーにコメンテーターとして参加します。参加費無料でどなたでも参加できます。ご興味ある方はぜひ。ちょうどいま、医療におけるエビデンスとナラティブに深くかかわる本をある医師の方とともに執筆していて、とてもタイムリーにコメンテーターの依頼をいただきました。いまとても重要なテーマであり、自分も各講演を聞くのが楽しみです。

以下、企画者の林岳彦さんのブログより転載させていただきます。

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エビデンスは棍棒ではない3:「エビデンスと社会とわたし」とその”隙間”を考える

企画者:林岳彦(国立環境研究所)、加納寛之(JST)、岸本充生(大阪大学)
開催時期:2/20(月)13:30-16:30@zoom
参加費無料でどなたでも参加できます。以下のリンクから、zoomウェビナーの参加登録をお願いします。
https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_TYg3v92rRYiciCHBB93k8Q

研究集会の趣旨:
統計的推測に基づく”エビデンス”は、ある種の法則性の存在を前提としている。また、われわれの社会とその制度も何らかの法則性の存在を前提に構築されている。しかし、その中に生きている「わたし」たちは、そうした法則性のみで説明できる世界の中ですんなりと生きているわけではない。わたしたちは、時には法則性の物語からはみ出し、時には法則性の物語に寄りかかりつつ、日々の生活を送っている。

しばしば、医療社会学などの分野では「科学的エビデンスの重視(あるいは標準医学の物差しに基づく”医療化”)」は、わたしたちの固有の生の在り方を軽視し排除するものとして批判されてきた。実際に、「エビデンスの不在」が「問題そのものの不在」として社会や制度の中で認識されることにより、個人の抱えるリアルな問題があたかも存在しないものとみなされてしまう状況がしばしば生じている。また、”科学的エビデンス”を巡る社会的コンセンサスが、個人の抱えるリアルな問題意識を不当な形で社会的・制度的に「上書き」してしまっている状況もある。

しかしその一方で、”科学的エビデンス”の獲得は、個人が直面した問題の「社会化」への重要な契機を与える一面も併せもつ。その意味で「アンチ・エビデンス」の立場は、「個人が抱えるリアルな問題の適切な社会化」への契機を失わせてしまう危険性をもつ。標準的エビデンスに対する拒絶(あるいはエビデンス至上主義者からの”斥力”)が、少なからぬ人々を”オルタナティブ・エビデンス”に基づく陰謀論やリスクの高い医療的実践へと至らせ、社会的分断や孤立化の原因となってきたことも、コロナ禍において私たちがしばしば目にしてきたことである。

 本研究集会では、そうした「エビデンス-社会-わたし」における複雑な三項関係(以下図)を念頭に、科学的エビデンスと「わたし」のありうべき位置づけについて議論する。今回の研究集会を通じて、「エビデンスと社会とわたし」とその”隙間”の存在について、そしてその”隙間”で身動きが取れなくなった人々に対する専門家や社会の「説明責任と応答責任」のありうべき姿についての認識と議論を深めたい。

講演者:
野島那津子さん(石巻専修大学)
『診断の社会学:「論争中の病」を患うということ(仮)』
竹林由武さん(福島医科大学)
『臨床心理学におけるエビデンスとケアと社会のあいだ(仮)』
安東量子さん(福島のエートス/NPO福島ダイアログ)
『個人線量の政策への利用について:数字の向こうに人がいる』
奈良由美子さん(放送大学)
『コロナ禍におけるリスクコミュニケーションと生活者の視点(仮)』

コメンテーター:
江守正多さん(国立環境研究所)
近藤雄生さん(ライター;代表作に『吃音 伝えられないもどかしさ(新潮社)』など)
佐野亘さん(京都大学)
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