『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第1回(2018年9月号掲載)

『月刊すこ~れ』2018年9月号掲載の連載第1回です。

Q どうして勉強しないといけないの?

 A みんな、昼間は学校で勉強して、学校の後は家で宿題をしたり塾に行ったり、という生活かな? もっと遊びたい、と思っても、先生からも親からも、「勉強しなさい」と言われているかもしれないね。そしてきっと一度はみな、こう考えることがあると思う。「どうして勉強なんてしないといけないんだろう?」って。
 いったいどうしてだろう。勉強すると「いい」学校に入れるんだ、すると「いい」会社に入れて、大人になってから安定した生活ができるんだよ、と言われたことがあるかもしれない。だとすれば、勉強することの目的は「いい」学校に合格することで、入学試験の問題を解けるようになることになる。
 でも、入学試験に受かって学校に入っても勉強は終わらない。その学校できっともっと難しい勉強をすることになる。つまり勉強するのは、試験に合格するためじゃなくて、勉強すること自体に意味がある、ということが分かると思う。
 では勉強とは何だろう? それは、みんなが暮らしているこの世界がいったいどんな場所かを知ることなんだ。ずっと昔に宇宙が誕生して、その中に地球ができて、人間が生まれた。その間に様々な変化が起こり、生まれてきたすべての人や動物が、少しずつ何かを残していった結果、いまの世界になったんだ。
 勉強というのは、その、ものすごく長い間に人が考え作り上げていったものや、自然が経てきた変化を知り、理解するためにするものなんだと思う。そして勉強して、この世界がどんな場所かが理解できると、では、その中で、自分はどのように生きたいか、そのために何をすればいいか、といったことを自分で考えて実現しやすくなるはずなのです。つまり、勉強するほどきっと自由に生きられるようになる。
「いい」会社を目指すのももちろんいい。でも、それは無数にある生き方の一つでしかないことは知っておいてもいいかもしれない。みんなの可能性は無限大なのだから。

Q スマホやテレビばかりを見ていたらどうしてだめなの?

 A スマホやテレビは、楽しいからついつい夢中になってしまいます。ぼくも時々、時間を忘れて見入ってしまうことがあります。でも、ずっとそればかりを見ているのはよくないなとはいつも思う。なぜかって?
 理由はいくつか挙げられると思います。他のことをする時間がなくなるから。目に悪いから。刺激が強くて疲れるから。そのどれもきっとそう。でもそれらの中で、ぼくが特に重要だと思うのは、ただじっと画面を見ているだけ、になるのがよくないんじゃないかなってこと。
 人間にとって、最も大事なことの一つは、自分で身体を動かしたり、考えたり想像したりすることだとぼくは思う。どこかに行ったり、人に会ったりして、新しいことを体験すると、その体験は感覚として身体に残る。または、ふと顏を上げて目の前の風景を眺めたり、空気や音、匂いに気持ちを向けてみると、思わぬことが頭に思い浮かんだり、いろんな想像が膨らんだりすることがある。
 一方、スマホで動画などを見ているときは、じつはただ画面に出てくることを〝浴びてる〟だけになっている。あまりに多くの情報や刺激が頭の中に飛び込んでくるから、何かを自分で考えるための隙間がなくなるのだと思います。ぼく自身、スマホやテレビを見ている時、「あ、画面上の絵と音を受け止めているだけになっているな」って気づくことがよくあります。その時間が楽しかったり、新しいことを知ったりもできるから、決して悪いだけではないけれど、そればかりだと、頭や心や身体を動かすことがだんだんと面倒になってしまうような気がします。
 自分で考えたり想像したりする時間、また自分で動いて何かをする時間。そういう時間が毎日あると、きっと、気持ちも豊かになっていくのではないかなって思う。その中に少しスマホやテレビがあるくらいがきっといい。大切なのはバランスだね。みんなはどう思うかな?

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